謝りながら生きている。

謝る難しさってシューティングゲームと似ているかも。

すぐに謝って、フォローしろというけど、謝る相手がキレキレだったら最悪。
ちょっと時間を置いて、冷静さを取り戻してからでないと、何を言っても駄目だろう。
シューティングゲームではボスの弱点が露出していないと駄目なところと似ている。

ただ闇雲に謝っても駄目、適切な人にちゃんとした謝罪をいれないと。
ただ闇雲に連射してては駄目、弾幕を避けながら、確実に敵機を仕留めないと。

弾幕を避ける事はとても大事。避けさえすれば、いつかチャンスが来る。
当事者以外の批判を真に受けすぎても駄目。精神的にきて、チャンスを逃す。

問題によっては裏ワザがある。↑↑↓↓←→←→BAとか。

すごくシューティングゲームに似ているかとおもったけど、あんまり似てないか。

人って、謝っているようで、本心は全然謝ってないように思う。
小さい子に悪い事したら謝りなさいと言い聞かすけど、子供はなぜ悪いのかを理解出来ずに怒られ、謝罪しろと親に迫られる。
ただ、親からの怒られる恐怖から逃れる為に理解しないまま謝罪する。
そこで気持ちのズレが出てくる。
親は何かしてしまったので子供に謝罪させて、普通の事をしたと思っている。
でも、子供は事が理解出来ずに謝罪させられているので、何で謝るんだと思い、親に対して怒っている。
でも、いくら説明しても経験と知識が圧倒的に足りないので納得出来ないままなる。それを引きずりながら、また事が起きた時に怒られて納得出来ないままなり、どんどんストレスが蓄積される。で、グレたり、引きこもったりして、ストレスを消化?していく。
そんなんだから素直に謝れずにまたストレスが蓄積される、悪循環。
で、時が経って、親になって理解する。過去の親の行動と同じ事を自分の子供にしていることを。

だから、謝罪する時は出来るかぎり、素直にごめんなさいと言おうと思った。謝ろう、俺。

小さい頃、親がシャツの裾をズボンに入れてた理由がよくわかった。
お腹が弱かったので冷やさないようにって事か。何かかっこ悪いと思ってたんだよね。すまん。