頼れるのは自分だけか。

 

物から個人へ、依存が移り変わる。
 
ちょっと前までは物に依存していた。
ファミコン持ってるやつの家に遊びにいったり、車持ってるやつを羨ましがったり
ブランドのバックとか服とかで着飾ったりしてた。
物への依存がかなり高かった。それは親が物が無い時代に育ったからかも。
70歳くらいの年代の人は兄弟も多く、兄や姉、親戚のお下がりが普通だった。
でも、今は違う。少子化で兄弟も少ない。また簡単に新品が買える。
初孫でも無いのに大きいオモチャがプレゼントされる。兄弟も少ないないので毎年のようにもらう。
そんな子供達が成長したら、どうなるだろうか?物に執着しない子が多くなる。物に依存しなくなる。
車はいらない。ブランドものもいらない。そんな子供達が欲するのはなんだろうか?
 
個人ではないだろうか?
 
核家族化が進んで、人とのつながりが薄くなったし、関わりあうのは避けるからこそ
ネットの世界に潜り込み、ひたすら自分を隠しながら他人と接する。
人とのつながりを極力嫌うはずなのに個人に依存しようとしている。
依存というか個人に反応を見て、自分を認識してるではないか。
今、ネットの中では個人に注目が集まっている。
SNSで自分の生活を紹介し、他人の反応を見ている。
また自分しか持っていないであろう情報をさらして、注目を集めている。
その行動で得たリターンが多い、少ない関係せず、リターンがあればいい。
それで自分が存在していると認識出来る。
炎上したって、しなくたっていい。だから、次々を同じようなネタで炎上する。
炎上でも自分を認識出来る。
 
こうやってブログを書いているのも、自分を認識したいのだろうか。
潜在意識の中がどうなっているか自分では分からないので不明だけど
日々の記録だけだったら別にブログはいらない。日記帳に書けばいい。
でもブログを書いているということは自分を認識出来る簡単な方法かも。
一番簡単なのは人と話す事。だから、もっとうまく人と接しようと思う、俺。