時間は流れております。

 

「ぼくのおつかい」が終わりました。
なんかさみしい気持ちなりました。
 
最初に知ったときはすごく面白いと思い、1号&2号のツイッターもフォローして
かなり遠くから傍観者をしてました。若いってすばらしいと思ってました。
1号も2号も普通の人生?では経験出来なそうな経験をしてますというかされてます。
そんな二人がはじめてWEBサービスをはじめていくところを見れてとてもよかったです。
自分とは正反対の二人がこのサービスをどのように運営していくのかとても気になりました。
(自分は人生を考えずにただ流れで生きてきたので二人を尊敬してます。)
特に友人知人ではないのですが、気になってしまったので不思議でした。
おつかい代行みたいなサービスなので直接ユーザと接することは大きな経験だと思います。
WEB系のサービスだとエンドユーザと接する機会が少ないように思いますし、
このサービスはWEBサービスとはいえ、基本は二人に携帯で連絡を取り、依頼するという
とってもアナログな手続きなのでWEBサービスというのがとても不思議です。
 
そして終わりが来ました。二人が考えて出した結果でもあり、次へのステップでもあります。
って、ブログを書いていたら、1号がリバ邸北海道立ち上げに行くとツイートがありました。
相変わらずのスパルタです。でも、出来そうだからのスパルタだと思います。
出来るかどうかわからないけど、今後のツイートが楽しみです。
 
スパルタであれですが体罰がだいぶ問題になってました。
すごく時代を感じます。昔は。。。と言っちゃうとあれですが
なんだろう、この違和感は。やる方は出来ると思っているからやるんだけど
やられる方は自分がどんだけ出来るかわからないから、すごくしんどい。
でも、ただの体罰ダメは結局、道路での歩行者みたいな感じなってしまう。
歩行者って事故ったときにほぼ10:0で勝ってしまう。道路の真ん中で寝たとしても。
そうすると道路の状況をまったく無視してくる人が出てきてる。
赤信号にもかかわらず、道路渡る人。
信号の無いところを急に出てきて、「あっすまんすまん。」みたいに軽く手を上げて渡ってくる人。
それは良い悪いではなく事故に遭うリスクを上げているだけ。
事故ってあとで下半身不随となってしまったら、お金を積まれても元には戻らない。
そんな大きいリスクを無視して自分は歩行者だからって顔で平気で渡る。
 
話がだいぶそれましたが、要は教わる人と教える人の立ち位置がおかしくなる。
馬鹿なやつは体罰出来ない事いいことに脅迫してくるだろう。
俺は生徒だ、さあ教えろ。みたいなやつ出てくるかも。
ニュースサイトをよく見てるけど、すごい結果しか書いてなくて状況詳細が何もない。
そりゃ体罰は悪いし、自殺も良くない。でも状況が見えないとその体罰した先生が悪いとは言えない。
遺書があれば、そうだけど、無い場合もある。そんな記事でもツイートしてる人がいる。
ダメって言ってる。本当にダメなの?って思う。
 
また話がそれましたが今は色んな立ち位置が変わってきている。
生徒と先生。雇用者と被雇用者。消費者と生産者。。。
でも、この関係は対等であるべきだと思うのですよ。
だって、先生は生徒を教えて、将来を担う存在にして、生徒は先生から教えを請う。
被雇用者は雇用し、労働力を使って商売して、雇用者は被雇用者に労働力を提供して給料をもらう。
消費者は生産者の製品を買い、生活を豊かにし、生産者は消費者に品質のよりよい製品を提供し、買ってもらう。
互いの利益があるのになぜか片方が強くなっておかしくなる。
先生の言う事は絶対とか、金払ってるんだから働けとか、お客様は神様とか。
なんか変な立ち位置ばかり。
 
そうです。「ぼくのおつかい」が終わりました。
今後の1号&2号のツイートがとても楽しみです。
俺も頑張ろう。二人より全然おっさんで経験積んでるはずなのに。。。
二人からやる気を貰ってしまった。ありがとう。