日々。

友人が病気になった。とても重い病気だ。
自分よりは早くこの世からいなるかもしれない。
最近、その友人にあった。もちろん病気を知った後だ。
喋った感じでは生きるという事は諦めてはいなかった。
生きてやろうという感じでもなく、淡々と日々生きるという気持ちを感じた。
他愛もない話が淡々と続いた。そして、またなと言って別れた。
自分がそんな状態になったら、友人と淡々と喋る事が出来だろうか?

生きるとか死ぬとかは体の状態ではなく、事実だ。ただそれだけ。
動物は生きるとか死ぬとか考えているのか?
だったら、アリが危険を犯してまで、巣の外に出て獲物を探すのか?
地中を掘って、ミミズなどの土の中にいる生物等を獲物にしたほうが
断然、安全だ。なのに、巣を出て、人や大きい動物に踏まれる危険を覚悟で
獲物を探しに行く。生きるとか死ぬとかではなく、生物として
ただただ動いてるに過ぎないのかもしれない。

親でも親戚でもない、友人に死が迫っているのを目の当たりして
やっと死を実感してしまうのはどうしてだろう?
親が危篤状態に陥ったときもこんなに死を感じたことはなかった。
ふと一人になったときに涙が止まらなくなった。

こうやってブログを書いていると自分が泣いても意味は無い事に気づく。
友人にも周りの人にも何も意味は無い。だから、泣くって変だなと。
で、なんで泣いているか考えている内に涙が止まった。

その人の未来は決まっていないのに勝手に想像して
勝手に思って、勝手に泣いている。全く意味のない時間だ。
それよりは友人に何が出来るかを考えたほうがよっぽどいい。

頑張れ、友人!